2008年1月18日金曜日

notes personnelles CASTIGLIONE


バルダサーレ・カスティリオーネ(Baldassare Castiglione 1478年12月6日 - 1529年2月2日)『カリティリオーネ 宮廷人』、清水 純一 , 天野 恵 , 岩倉 具忠 訳、東海大学出版会、1987

'sprezzatura'- さりげなさ。人に自然らしい、巧まない印象を与えるある種の気のきいた磊落さ、無頓着さ、それは計算されたものでありながら、人にはそれと悟らせないだけの才覚を伴ったものでなければならない。宮廷人らしさ。

'affettazione'-自然らしさを欠いた、わざとらしさ。

'grazia'

「ところで、天からそれを恵まれた人びとは別としてもこの気品[grazia]がなにから生まれるのか、すでに何度も想いめぐらしてみたのですが、およそ人間のしたり言ったりすることのなかで、なによりもこの点について有効であると思われる、きわめて普遍的な法則を私は見つけました。つまりそれはこの上もなく怖ろしい危険な暗礁から逃れるように、できるかぎりわざとらしさ[affettazione]を避けることです。そして新語を用いて申せば、すべてにある種のさりげなさ[sprezzatura]を見せることです。すなわち、技巧[arte]が表にあらわれないようにして、なんの苦もなく、あたかも考えもせず言動がなされたように見せることです。このことから大いに気品[natura]が生じるわけです。」

「ですから気品とは、技とは見えぬ真の技であると申せましょう。またそれをひた隠しにすることのみに務めるべきなのです。というのはひとたびそれが露見すれば、あらゆる魅力は失われ、もはや賞讃されなくなりますから。」

'Si latet, Ars prodest' 技とは技を隠すこと。 オウィディウス

適正な中庸 Aura mediocritas 黄金の中庸  ホラティウス

「音楽では続けて二つの完全和音を出すことは最大の禁物です。それはわれわれの聴覚が有する同様な感覚が、それをきらい、たいがい、第二音か第七音を好むからです。これらの音自体は、耳ざわりで聴くにたえない不協和音ののですけれど。そして完全和音の継続は、人を退屈させ、あまりにもわざとらしい調和を感じさせます。ところがそれは不完全音とまじり合うといわば両者が対照をなすことにより解消されます。つまりそのことで聴く耳が待ちぼうけを喰わされると、かえって熱心に完全和音を期待し、味わおうとするからです。で、例の第二もしくは第七音の不協和音が、あたかもさりげなく作られたかのように味わえるという結果になるのです。」

「あの謹厳なソクラテスが、すでにたいへん年をとってから竪琴を習ったということもつけ加えておきましょう。」

「この世は音楽により成り立ち、天界は動くにつれてハーモニーをつくり出し、人間の魂も同様な理屈で成り立っているので、音楽によって目覚め、その諸々の徳性がいわば活動するのだとまで考えられたことを想い起こしてください。」

「音楽にはある種の神性が潜んでおり、ピュタゴラスやソクラテスもこれを感じとっていたようですから。」

隠喩 metaphora

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